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最終更新日:2018年5月15日(火)


かみかわ「食べものがたり」: ふらのジャム園 「ふらのジャム」


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“もったいない精神”が生んだ甘さ控えめのジャム
「苦労なんてひとつもなかった」と笑顔で話す大久保さん
ふらのジャム園 「ふらのジャム」 かみかわ南部
地元の人でも見放した、標高の高い傾斜地に入植

 「収穫が終わった畑に、形が悪いというだけで取り残されているにんじんを見て、『雪の下になって終わりか』と思うともったいなくて」――ふらのジャム園を経営する大久保嘉子さんは、ジャム作りを始めたきっかけをこう語ります。

 富良野市麓郷地区にある共済農場。大久保さんの夫・尚志さんが昭和49年、仲間4人とともに15ヘクタールの土地を購入し、開墾を始めました。この土地は、北海道では農業ができる限界と言われている標高500mの傾斜地。地元の人でさえ農業に向かないと、植林をして離農した土地でした。大久保さんは、一緒に助け合って作物を育てるという共済農場の考え方に共感し、作業を手伝うようになりました。昭和53年、大久保さんは札幌の建築関係の会社を辞め、36歳の時に尚志さんと結婚。農場での生活が始まりました。


画像アイスにジャムをかけたところ
「ふらのジャム」は甘さ控えめのため、アイスクリームに乗せて食べると絶品

 

苦しい農場経営の中、東京で見た『にんじんジャム』にヒント

 しかし、東京からやってきた尚志さんら若者にとって、農作業はきつく、苦しいものでした。理想と現実の隔たりの大きさに、農場からは1人減り、2人減り、とうとう昭和56年には大久保さん夫妻のみになってしまいます。そんな挫折感に打ちひしがれている時、目にしたものがにんじんの山でした。この年は豊作でしたが、選果の時に、形の悪いものは弾かれます。畑が真っ赤になるほどに残ったにんじんを見て「なんとかしなくてはいけない」と強く思ったと言います。

 加工のヒントをつかみたいと考えた大久保さんは、昭和57年2月、意を決して東京に出向きます。共済農場を応援していた仲間のところに宿泊しながら、1カ月間百貨店や市場を見て回りました。そのとき偶然に、青山にあった紀ノ国屋で輸入のにんじんジャムを発見。紀ノ国屋は当時、外国人が多く来る店で、野菜をジャムにすることは日本ではほとんど行われていない時代でした。「これなら、私にも作れるかもしれない」と思った大久保さんは早速富良野に戻り、試作品作りを開始します。

画像ジャムの商品棚と工房風景 (左)これまで開発された38種類ものジャムが所狭しと並びます
(右)園内の工房では、ジャムの製造過程が見学できるようになっています

 

栄養士の資格を生かし、添加物、砂糖、水を一切使わないジャムを開発

 実は大久保さん、進学した昭和女子短期大学部で食物科を専攻。栄養士の資格を取得しています。そのことが、ジャム作りに生かされることになります。

 試作を開始した直後はジャムににんじん臭さが残り、これを消すのに苦労しました。にんじんを細かくした後、時間をかけて煮詰めながら、丹念にアクを取ります。糖分は、はちみつだけ。水は一切使用せず、もちろん添加物も使いません。試作を繰り返した結果、にんじん臭さを消し去るには、りんごとレモンを加えると良いことが分かりました。「キャロットハニージャム」の完成です。試作開始から約半年後の、昭和57年9月のことでした。


画像ふらのジャム瓶(キャロット)
★ふらのジャム(38種類)各432円~(税込)


 続いて、かぼちゃジャムの開発に取り掛かります。かぼちゃも、小粒というだけで農協などに買い取ってもらえません。完熟したかぼちゃをつぶし、丁寧に煮て裏ごしをしたものに砂糖とシナモンを加えて味を調整。「パンプキンジャム」ができあがりました。そして、近所の農家に分けてもらった山ぶどうにも挑戦。野生のぶどうのため酸味は強く、一般的なぶどうよりも深みのある味に仕上がりました。

 

市長の仲介で新聞記事になり、大きな反響を得て自信に

 近所に味見をしてもらったところ、「これなら売れるんじゃない」と一定の評価も得ました。しかし、ここからが問題でした。なにしろ、共済農場のある麓郷地区はただでさえ人の行き来の少ない場所。農場を訪れるのは郵便屋さんのみという寂しい所でした。「何とかジャムを知ってもらいたい」と考えた大久保さんは、周りが思いもよらない行動に出ます。富良野市役所に出向き、当時の市長を電撃訪問したのです。すると、「市長は大変喜んでくれて、当時の商工観光課に連れて行ってくれました。そして、すぐに新聞記者を呼び、記事にするよう頼んでくれたんです」と大久保さん。

 翌日、新聞記事を見たといって、富良野プリンスホテルの支配人から連絡が入りました。「うちと提携して、ジャムを販売しないか」という話でした。まずホテルに商品を置いてもらうことになったところ、ジャムは予想以上に売れました。札幌の五番館西武でも販売したところ、雪まつりでにぎわっていた時期ということもあって、6日間で50万円もの売り上げを記録。驚くとともに、大きな自信を得ました。

 すると再び、プリンスホテルから「かわいいラベルも作って、ふたの上に帽子も付けましょう」との提案を受けます。ただし、ジャムはすべてホテルを通して販売してほしいというものでした。農場に帰って、夫の尚志さんに相談したところ「断りなさい」との返事。1つの場所で販売するのではなく、多くの場所で売ったほうが良いとの判断だったようです。

 

メロンでは苦戦、スイカでは『瓢箪から駒』

 専属契約は断ったものの、ホテルでの販売は継続。このため、ホテル側からは新たな商品開発の依頼が次々と寄せられました。

 まず、いちごジャムの依頼がありました。「どこにもない、いちごジャムを作ろう」と考えた大久保さんは、「家庭で作るジャム」を基本に、水や添加物を一切使わずに商品を開発しました。次いでメロンジャムの依頼がありましたが、こちらは苦戦。「ウリ科のメロンは、熱を加えると漬物臭くなる」(大久保さん)のが難点で、これを克服するため当時の道立工業試験場の研究員だった江村達男氏に指導を受け、完成に漕ぎ着けました。


画像ふらのジャム各商品 水も添加物も使用しない「いちごジャム」(左上)数あるジャムの中でも、一番人気は「ハスカップジャム」(左下)です

 思いがけないハプニングから誕生した商品もあります。それが「すいかジャム」です。昔から、すいかの果汁を煮詰めたものは「西瓜糖」と呼ばれ、利尿作用があることから腎臓に良いとして珍重されてきました。ある日、大久保さんはすいかの絞り汁を火にかけ、西瓜糖の製造を始めました。煮込み時間は、いつも約5時間。火をつけたまま外出しました。ところが帰宅時間が遅れ、慌てて家に帰ってみるとコンロ上のすいかエキスは焦げる寸前でした。急いでかき混ぜましたが、内心では「焦げ臭くて食べられないだろう」と思っていました。しかし、恐る恐る食べてみたところ、これが今までになく香りがしっかりと残り、美味しかったのです。まさに、瓢箪から駒。「ジャムはあんこと同じで、強火で一気に仕上げるのがコツ」と気付いたといいます。

 昭和62年からは、共済農場内に「ふらのジャム園」をオープンし、念願の直売も始めました。ジャムを手作りする様子を一般のお客さんにも見てもらい、試食も行っています。これまで開発したジャムは合わせて38種類。「私に苦労話などありません。1つひとつが楽しみだった」と笑う、大久保さん。“ジャムおばさん”は、まだまだ新商品開発に意欲を燃やしています。

画像ジャム園建物外観 ジャム園内の売店では、パンやおにぎりなどの軽食も食べることが出来ます

 

  共済農場・ふらのジャム園

 
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