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ホーム > 産業振興部 > 商工労働観光課 >  かみかわ「食べものがたり」: だるまや「バナナ焼」


最終更新日:2016年3月23日(水)


かみかわ「食べものがたり」: だるまや「バナナ焼」


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旭川市民のおやつ、戦後生まれのバナナ焼
「見よう見まねで、自分の身体で覚えてきました」と3代目の高田俊彦さん

だるまや「バナナ焼」 かみかわ中部 旭川市
おやきを生かすも殺すも餡の塩加減

 右側を少し寂しく感じながら焼き台に向かう「だるまや」3代目高田俊彦さん。旭川の人なら、きっと誰もがその美味しさを知っているだろうバナナ焼で有名な「だるまや」。パリッとした独特の皮に、塩味のきいた白あん。その絶妙な味が長い間市民に愛され、旭川名物の1つとして挙げられています。

 バナナ焼が誕生したのは、昭和26年。当時の店主・高田秀雄さんが戦後にアメ横でバナナの形をした焼き型を見つけたのがきっかけでした。パン職人だった秀雄さんは、その技術を生かしパリッと焼きあがる生地を作りだしました。それは、今でもそのまま変わらぬ配合で受け継がれています。「昔ながらの膨らし粉を入れて作っています。ハイカラなものはできないから、今もお祖父さんが決めた配合そのままです」と俊彦さんとともに店に立つ、母の高田直子さん。

 しかし、創業当時から変わったこともあります。それはあん。秀雄さんが最初に作ったあんは、お酒のつまみになるほど塩気がありました。それを昭和40年代に入り2代目の高田典彦さんが店を手伝うようになってから、秀雄さんとともに試行錯誤で変えていきました。急にではなく、お客様の舌が馴染んでくるのを待つかのように、徐々に塩味を落とし、1年ぐらいかけて今の味に。

 それでも、今のあんも菓子店のものに比べると塩が少し強め。「お菓子屋さんにはこんなしょっぱいあんを使うの?と言われますが、おやきにはちょうど良いんです。食べやすいと思います」と俊彦さん。甘味を感じさせるための塩が生む絶妙な塩加減は、バナナ焼の命。「おやきを生かすも殺すもあんの塩加減」。常々、先代が言っていた言葉です。

★「バナナ焼」(白餡)130円(税込) 
★「たい焼」 (赤餡)130円(税込)
 
両方とも生地は同じものを使っています。塩味を生かしたあんとパリッとした皮が美味しい

 

バス待ち時間の、みんなの楽しみ

 スタートは、緑橋通りにあった戦後のバラックマーケットでした。当時は敗戦後で食料や物資不足の時代、「物のない時だったから、売れて仕方なかったようです」と直子さん。その後、マーケットは撤去され、昭和28年、旭川駅前に建設された市内初のエレベーター付き高層建築物のアサヒビルに移転。平成19年に同ビルが解体されるまでの54年間、アサヒビルの歴史とともに「だるまや」は市民の生活の中にありました。駅前という立地条件のため、バスや汽車の待ち時間に、熱々のほうじ茶と一緒に、フーフー言いながら食べる学生や買い物帰りの主婦で賑わっていた同店。そこで食べるカリカリとした焼きたての味は、それぞれの人の思い出の中にも生きているほどです。

 アサヒビルの閉鎖後は、自宅を改築し再開。それが、現在の店舗です。


昭和38年にそれまでの燃料の炭とコークスからガスに焼型の外枠はその時に交換してから約半世紀使っています中のバナナ型は7~8年で交換写真のものは平成14年頃家族3人で出かけた東京合羽橋道具街で注文

 

焼きたての美味しさを

 「お客さんが求めているのは、パリッとした焼きたての味なんです」。今の店舗は、アサヒビル時代のように食べるスペースはありませんが、それでも1つだけは包まないでというお客様が多くいます。10個20個と買っていく中で、1つだけは包まない。それは、1つは焼きたてを食べながら帰りたいからなのです。

 新店舗になってから予約も受け付けるようになりましたが、作り置きしておくと焼きたての食感がなくなります。だから、できるだけ焼きたてをお客さんにお渡ししたいと心がけています。「作りおきはせずに、できるだけ時間に合わせて焼くようにしています。でも、5分おいただけでも焼きたての食感が変わるので、予約の時間より少し早めに来て、焼きあがるのを待って頂くぐらいが美味しく食べられるんです」と直子さん。

 時間が経つと若干しっとりとしますが、それも美味しい。またオーブントースターやフライパンで温めると、再びパリッとした食感が楽しめます。たくさん買って、冷凍保存する方も多いそうです。

 

体で覚えた、受け継ぐ技

 「コツコツとやるしかないかなと思っています」と話す俊彦さんは、平成9年にそれまで勤めていたコンピューター会社を辞めて、父親を手伝い始めました。1人息子のため「誰かがやらなきゃと思ってはいました。他にやる人がいないので、いつかは家に戻らなきゃと」。これだけ市民に親しまれてきた味をなくす訳にはいきません。

 子どもの時から店を手伝い、高校生の時には焼き台に向かっていた俊彦さん。いつも左が俊彦さん、右が父の典彦さん。右肩に父親の姿を感じながら焼き続けてきた10数年の年月は、かけがえのないものでした。ところが、平成21年2月に父の典彦さんが他界。入院の前日まで働き、亡くなったのはその45日後という、あっという間のことでした。「亡くなる3日前まで、本人は退院して帰ってくるつもりだったんです」と直子さん。

 時々、直子さんが典彦さんの焼き台に立つことはありますが、父の気配は俊彦さんの右手から消えました。「父が亡くなった時、できるとこまでやっていこうと思いました。創業何年というのは気にしてもどうしようもない。自分には自分のできることがある。それをやっていくだけです」。

 「焼くのは常にガスの火を見ながらの真剣勝負」そう言っていた2代目。皮をできるだけ薄く焼くために、気を抜くとあんが出てしまいます。火のバランスと焼くスピード。そんな父の姿をひたすら見つめ、見よう見まねで覚えた作り方。「配合や炊き上がりは、教えられたというより自分の目で覚えるしかなかった。生地の作り方も、仕上がり具合も自分の体で覚えました」。

 祖父や父が築いた味を守るのは、ひたすら見て覚えたことを、ただひたすら丁寧にやり続けることです。

 

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