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「もっと原始的な作業を取り入れた、機械に頼らない麺作りに戻っていきたい」と株式会社<寿>須藤製麺代表取締役会長の須藤雄一さん。
昭和23年創業、株式会社<寿>須藤製麺工場の2代目須藤雄一さんが、会社の礎を語ります。
「もともと親父は軍事工場の鉄工職人でした。それが、私が小学校5年の頃、麺屋を始めた。戦後、食べ物の無い時代に何をするか?親父は鉄工の技術を生かして、その辺に捨てられているような鉄くずを拾い集め、精米の機械を作りました。だが、米がだんだん手に入らなくなり、困った親父は次に麺を作り始めたのです」。それが須藤製麺の始まりでした。
「10人いた親父の兄弟皆が手伝い、自分達で作り、自分達で配達して回りました。夏は自転車に商品を積み上げ、冬はソリで運ぶ。それが、昭和23年頃の話です。当時、私は早く自転車に乗れるようになりたかった。自転車に乗って、自分も早く親父の手伝いがしたかったんですね」。
「当時は麺屋もたくさんあった。店で作ったのを近所の人が買いに来たり、配達をする。当時は乗り物といっても自転車ぐらい。遠くまで行っての商売は出来ないからね。近所にあるお豆腐屋と同じ存在で、麺屋もたくさんあった。うちの麺は、うどんから始まって蕎麦、昭和28~29年頃からラーメンを始めた。蕎麦の生めんを茹でて旭川の市場で売り出したのは、親父が最初だと聞いています」。
こうして、一つひとつ積み上げるように商売を固め、昭和36年に有限会社として法人化させました。
須藤製麺工場の社名の前に「寿」の文字。
これは創業当時、茹で麺を配達する時に使っていた木折に印が欲しいと、目印のマークを付けたのが由来。
当時は個別包装もされていなかったため、木折に印が無いとどこの製麺屋か判って貰えませんでした。
須藤の「す」と、寿司の「寿」から取った縁起担ぎの文字です。 ※写真は昭和28年頃の須藤製麺所。
戦時中の昭和18年に生まれた須藤さん。日本が終戦を迎えた時は2歳でした。「戦中に生まれ、戦後の混乱の時期に育ちました。本当に何も食べるものが無かった。食べ物が無い中でどうやって生きていくか、親は大変苦労したと思う。親父は、なけなしの服を持って、農家で米と物々交換をしてもらっていました。お腹に米を隠して自転車に乗る、その親父の背にしがみついていた事を覚えています」。
須藤さんは「そういう時代を考えると賞味期限が付けられた今の状況は、もったいなくて仕方がない。昔の人は物を見て、匂いをかいで、舐めてみて判断した。それを煮るなり焼くなり調理し直して食べていました。食品を最後まで『活かす』という術を今の人は知らないのではないでしょうか。確かに、賞味期限という目安も食べ物には必要です。でも、まだ食べられる物も捨てなくてはならない現状は、物のない時代を知っていると、しみじみもったいないと感じるんだ。話としてではなく、食べ物の無い時代を自ら体験してきた事だからね。お客さん自身が見る目を持って欲しい。自分で買ったものは、自分で確認して、それから先は自分の責任で食べられる物は食べる。でも今は期日が切れた途端、捨ててしまうでしょう」と語ります。
そして、もう一言。「親父たちが苦労して、作った店だからね。だから、粗末にはできないのさ」。
★「職人気質の旭川麺」(醤油・塩味・味噌) 各1個 378円(税込)
北海道産小麦粉100%使用。日持ちをさせるための添加物・着色料などを使わずに、丹念に仕上げた手もみ式麺。
天然のダシだけで取ったスープが付いています。大阪・高島屋の物産展で1日60万円という記録的な売り上げを見せました。「旭川麺」はインターネットでも買えます。
「親が苦労している姿を見ているから、親の手助けをしてやりたい。その思いだけで続けてきているんです。麺屋をやりたいとか、経営者になりたいとか、そんな発想はなかった。会社に入ってからも、加工から配達、営業、集金、全ての仕事をやってきた。親父は厳しい人で、この仕事をやるのであれば、天井の裏から縁の下のゴミまで知らないとできない。そう言われました。親父は、自分で手探りの中で麺作りの技術を身に付けてきた人。経験もない、材料もあまり無い、だからこそ真剣にやってきた。その経験を僕に伝えたかったんだと思う。だから、ものすごく厳しかったんだと思うんです」。
現在、業務用の麺を主流に製造している須藤製麺は、お客様の要望に応え、独自性のある麺を作っています。その種類は北海道内の製麺店の中でも多く、約80種類にも及びます。
「今は、お客様の声を聞いて物を作る事に徹底しています。お客様が本当に求めているものを知るためにも、色んな事を知っていなければ作れません。クレームがきても何が原因なのか経験がないと突き止められない。麺作りも麺の基本中の基本が判らないと、応用はできない。お陰様で僕は、手で作る事を経験しているから、麺作りの基本が身に付いている」。
そして、たくさんの商品を生んできた原動力、常に前を向き成長してきた、その秘密はこんな言葉にありました。
「困った事があったらチャンスだと思え、と親父によく言われました。失敗はチャンス。失敗したら考えるじゃないですか。よく『あなたの財産は何ですか?』と聞かれるけれど『僕の財産は、失敗の数だな』と答えます。その失敗のお陰で、お客様からのクレームや要望にも、どこに問題があったのかが、すぐに判ります」。
同社で一般の方も買える麺の中でも画期的な商品は、旭川麺です。通常の麺は日持ちさせる工夫をしていますが、旭川麺はあえてそれに逆らった作り方をしました。「日持ちはしなくても良いから、北海道の小麦の味を味わえる麺を作ろう」。それが旭川麺のコンセプト。北海道産小麦を100%使い、北海道の風味豊かな小麦の美味しさを前面に打ち出しました。
麺を作る工程の中に、色々な仕掛けや秘密がたくさんあります。四角い麺をさらに押しつぶし、そこにわざとバラツキを与えることで、コシがありツルツルとのど越しが良い麺に。スープも天然のダシで作った無添加です。
「麺の可能性は、幾らでも広がっていくね。だから研究ばかりして、いつまでも貧乏なままさ。これからは、原始的な手作りの経験を生かした商品作りを考えたい。そういう時代が来たのかなと思う」須藤さんは、苦労して培った父親の技術を継いで、さらに美味しさを追求していきます。
株式会社 寿 須藤製麺工場 旭川市流通団地2条5丁目16番地1 |