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最終更新日:2018年6月22日(金)


大雪ものしり百科「産業編」|大雪山を囲う町の紹介 旭川市


旭川市鷹栖町東神楽町当麻町比布町愛別町上川町東川町美瑛町

あ、雪の匂い 旭川市

まちの概要
 1890年(明治23年)9月20日、上川郡に初めて旭川村、永山村、神居村の3村が置かれ、 1891年(明治24年)、屯田第3大隊本部と第1・第2中隊400戸が入地、 翌年の1892年(明治25年)、第3・第4中隊400戸が入地して初めて旭川(今の東旭川地区)の開拓が始まりました。 屯田兵とは、明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵士とその部隊です。
 1898年(明治31年)には鉄道が開通、1900年(明治33年)には旭川村から旭川町に改称され、札幌から第7師団が移駐するなど産業や経済の基盤が成立し、道北の要としての使命を担ってきました。さらに先人たちの偉大な努力により1922年(大正11年)8月に市制施行、1955年(昭和30年)から近隣町村との合併が進み、1970年(昭和45年)に人口30万人、1983年(昭和58年)には人口36万人を超え、北海道では札幌に次ぐ第2の都市となりました。
 また、主要国道4本、JR4線の始終点となっているほか、1990年(平成2年)10月には道央自動車道が旭川まで開通、さらに1997年(平成9年)2月には旭川空港において、2,500メートルの滑走路が供用開始されるなど、北北海道の中核都市のみならず、道北・道東地域の商業流通の拠点都市として着実に発展を遂げています。
 2000年(平成12年)4月1日、道内初の中核市に移行し、「水と緑に輝く 北の拠点・旭川」の新たな創造に向け、市民主体を基本としながら、誇りと喜びを実感できる質の高いまちづくりを進めています。

2013年(平成25年)2月末日現在 [人口] 350,484人 [世帯数] 174,856世帯 [面積] 747.60平方キロメートル

入植・開墾の歴史
できごと
1890年(明治23年) 上川郡に旭川、神居、永山の3村が置かれる。
1891年(明治24年) 永山村(現・旭川市永山)に、屯田兵が入植する。
1892年(明治25年) 旭川村(現・旭川市東旭川)に、屯田兵が入植する。
1900年(明治33年) 旭川村から旭川町に改称する。
1902年(明治35年) 1級町村制を施行する。
1914年(大正3年) 区制を施行し、旭川区となる。
1922年(大正11年) 市制を施行し、旭川市となる。
1955年(昭和30年) 神居村と江丹別村が編入する。
1961年(昭和36年) 永山町が編入する。
1963年(昭和38年) 東旭川町が編入する。
1968年(昭和43年) 神楽町が編入する。
1971年(昭和46年) 東鷹栖町が編入する。
1995年(平成7年) 上川中部圏(1市8町)が、地方拠点都市地域の指定を受ける。
町名の由来
 忠別川のアイヌ語名「チュプ・ペッ」(日、または太陽が出る川という意味)が語源といわれています。その後、「日」を「旭」に置き換えて旭川と名付けたとされていますが、諸説あり定かではありません。
年間気温と降水量 (統計期間:1981年〜2010年)
  1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
降水量(mm) 69.6 51.3 54 47.6 64.8 63.6 108.7 133.5 130.9 104.3 117.2 96.6
平均気温(℃) -7.5 -6.5 -1.8 5.6 11.8 16.5 20.2 21.1 15.9 9.2 1.9 -4.3
最高気温(℃) -3.5 -2.1 2.6 11.7 17.7 22.9 25.8 26.3 21.6 14.8 5.8 -0.8
最低気温(℃) -12.3 -12.7 -6.3 0 5.4 11.6 15.9 16.8 11.2 3.9 -2 -7.9
姉妹都市

アメリカ合衆国・イリノイ州
ブルーミントン市 1962年(昭和37年)10月11日提携
ノーマル市 1987年(昭和62年)7月7日提携

大韓民国・京畿道
水原市 1989年(平成元年)10月17日提携

 
旭川市の主な産業
 旭川市は「川のまち」であり、多くの河川が市内を流れています。大雪山系の雪解け水、伏流水の恩恵を受け、 農業を始め様々な産業のほとんどが、この水資源を有効活用しています。北海道における良質米の生産地として知られており、冷涼な気候が美味しい農作物を育み、農業の集散地として発展しました。郊外では、そばの生産も行なっており、その生産量は国内第3位となっています。物流の拠点として、卸売・小売業などのサービス産業も盛んです。そのほか、旭川医科大学を中心とした医療集積地でもあります。家具(旭川家具)の製造でも有名で、日本の五大家具産地の一つにも数えられています。ほかにも食品、機械金属、紙、パルプ、電子、デバイスなどの産業があり、全国に出荷されています。また、酒造業も昔から営まれており、「北の灘」とも呼ばれています。近年は旭山動物園の人気によって観光客が大幅に増加し、その数は北海道内で常に上位3位以内を維持しています。
代表的な産業「旭川ラーメン」

 多くの人々に愛され親しまれているラーメンですが、北海道では札幌ラーメンの味噌、函館ラーメンの塩などが有名です。それに対し、旭川ラーメンは醤油が最も有名であるといわれています。 旭川ラーメンの特徴としては、豚骨・鶏ガラと魚介類でダシをとったWスープです。かつての旭川市では養豚業が盛んであり、本来であれば食品廃材となる豚の骨を活用しました。しかし、この豚骨スープには特有の強い臭みがあるので、臭み抜きとダシを取るために煮干しを使い、更に風味を加えるために昆布類を併用するようになったことからWスープが誕生しました。 また、旭川ラーメンではスープにラードを入れることも大きな特徴です。これは、冬期に-30℃を下回る厳しい自然環境が関係しており、ラードで油の膜を張りスープを冷めにくくするためといわれています。 麺は中細の縮れ麺が多く、加水率は28〜32%と低加水の麺を使用しています。この麺は茹で上げたあとにスープを吸収しやすく、かつ絡みやすいという特徴があります。多くは、旭川市の製麺所の麺を使用しています。具材はネギ、チャーシュー、メンマとシンプルで、メンマは味付けせずに塩抜きしたものを使うことが多いようです。近年においては、多種多様なラーメン店が出店しているため、様々な具材があります。旭川発祥である塩ホルモンや豚トロを使っている店舗もあります。バリエーションの1つとして野菜ラーメンと呼ばれるメニューもあります。もやしラーメン、ネギラーメンとは区別されていて、複数種類の野菜が乗せられているラーメンです。ほかにも、観光客向けにホタテやコーンなどの北海道の特産物と、バターなどの乳製品を加えたラーメンもあります。 現在まで続いている旭川ラーメンの原点となったのは、1947年(昭和22年)にラーメン専門店として創業し、現在も続いている「蜂屋」と、同年に屋台からはじめた「青葉」の2店とされています。この頃から、旭川ラーメンの特徴である、Wスープ、ラードといった要素が形づくられていました。次いで1950年(昭和25年)には「特一番」、1952年(昭和27年)には「天金」が創業し、徐々に市内で浸透していき旭川ラーメンの源流となりました。 以降、札幌で主流となっていた味噌ラーメンをメニューに加える店舗も現れ、暖簾分けや、全国チェーン店ができるなど、北海道外でも旭川ラーメンの名前が知られるようになりました。 正統派の旭川ラーメンを提供する店舗は沢山ありますが、現在では旭川醤油ラーメンにこだわらず、塩ラーメンを売りにする「山頭火」や、味噌ラーメンの「よし乃」など多種多様なラーメン店があります。旭川ラーメンの原型から離れてはいますが、各地のラーメンの影響を受けつつ、旭川ラーメンは更なる発展・進化を目指しています。 1996年(平成8年)にはあさひかわラーメン村が誕生し、観光の目玉として親しまれています。この旭川ラーメン村は、旭川市内のラーメン愛好家により生まれました。ここでは、旭川を代表するラーメン店が集まっているので、気軽にその味を楽しむことができます。 2001年(平成13年)には、旭川ラーメンを含む北海道のラーメンが「北海道遺産」として認定されました。

あさひかわラーメン村 代表取締役 木村政博氏 インタビュー
「ラーメンNo.1を目指して 旭川ラーメンを愛するがうえで」

 旭川ラーメンをこよなく愛する人が集まり「旭川ラーメンバーズ」が結成されたのは、1995年(平成7年)です。「旭川ラーメンが大好きな方なら職業、年齢、性別、住む場所を問わず会員になれるのです」と、現在この会の事務局長であり、あさひかわラーメン村の代表取締役 木村政博さんは熱く語ります。この「旭川ラーメンバーズ」が町づくり計画の一環として立ち上げたのが、あさひかわラーメン村です。 当時、北海道ラーメンといえば札幌ラーメンで、旭川ラーメンはまだ無名に近く、なんとか旭川ラーメンを全国的に有名にしたいという強い思いがありました。そのためにまず「あさひかわラーメン村」を作る計画があることを旭川市内のラーメン店約200店にダイレクトメールを送って知らせ、興味を持って集まった約30店に対し説明会を行いました。それと並行して場所選びも進められ、現在の土地に決まりました。「オーナーや店長がきちんと店を見て、麺あげをして、お客様から厨房が見えるようにする(隠さない)こと、接客のよさにこだわりました。旭川ラーメンを愛する者として、『観光客は入るけど、地元の方々にそっぽを向かれる観光名所』にはしたくなかったのです」。そして1996年(平成8年)に、この熱い思いを受けとめて最終的に絞り込まれた8店舗によって、あさひかわラーメン村がスタートしました。 あさひかわラーメン村の特徴は、全国各地にあるラーメンテーマパークとは違い、地元のラーメン店で構成されていることです。「せっかく北海道の旭川に来ているのだから、地元のラーメンを食べて欲しい」と、ほかとは一線を画したのです。8店舗の個性的なラーメンから選ぶことができ、また食べ比べをしたい方には小さいサイズのラーメンもあるので、数店舗の味を堪能することができます。

ライバル店がいるから美味くなる

 地元のラーメン店のみにこだわったのには、もう1つ理由があります。すぐ横にライバル店があることで、お互いが味や接客などを切磋琢磨し、旭川ラーメンがさらによくなることを期待したのです。「ラーメン村で修業をした後に独立してお店を構える方には、ここでの経験を活かしたラーメン作りができ、旭川ラーメンのレベルがさらに上がるのではと考えました」。また3年に1度、1〜2店舗の入れ替えがありますが、「撤退していかれた店舗の、その後に期待しています」と語ります。

立地も魅力

 「ラーメン村は混んでるという地元の方のイメージがありますが、団体のお客様が来られた時など一時的なものです。8店舗合計で220席あり、ラーメンを食べる時間は1人あたり約15分なので、待ち時間が少ないのもラーメン村の魅力です」。また、旭山動物園や上野ファームなどの観光地に近いのも魅力の一つといえるでしょう。さらに、ラーメン村の施設の中にある「丼ぶりっ子スタジオ」で月に2回、地元ならではのゲストを招いてHBCラジオ「ろーかるナビです・北東!」の公開録音を行ない、地元の方々に向けてもラーメン村の魅力をアピールしています。

ラーメン=日本のその先

海外ではラーメンと言えば日本であり、国内でもラーメンは日本の食文化と考えられています。外国からの観光客のみなさんは、北海道の夏の大自然や冬の雪景色を体験しながら、日本食として一度ラーメンを食べてみたいと訪れることが多いようです。「ラーメン=日本なので、それがラーメン=北海道やラーメン=旭川になり、旭川ラーメンが北海道ラーメンのナンバーワンになることを目指しています」と、目標を高く掲げ、あさひかわラーメン村は日々の探求を惜しまず努力を続けています。


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