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ホーム > 地域創生部 > 地域政策課 >  てっし散歩 - 松浦武四郎の足跡


最終更新日:2013年12月11日(水)

天塩川周辺情報満載!「てっし散歩」

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天塩川流域を調査した、松浦武四郎

 幕末の探検家・松浦武四郎(1818~1888年)は、28歳から6度にわたり、蝦夷地を調査しました。1857(安政4)年に天塩川の流域を調査。現在の音威子府村でアイヌ語の「カイ」が「この土地で生まれた者」を意味することを知り、1869年に「北カイ(加伊)道」などを提案し政府は武四郎の案をもとに「北海道」と改称しました。天塩川流域には武四郎のゆかりの地に記念碑や案内板が設置されています。

■ 松浦武四郎の像(石像・歌碑)

(所在地:天塩町鏡沼海浜公園内)

松浦武四郎の像

 ここは1857(安政4)年に行われた天塩川流域調査の出発地。天塩川河口の鏡沼海浜公園に、丁寧な紹介のある松浦武四郎の像と、

「蝦夷人の みそぎなしたる 天塩川 
今宵ぞ夏の とまりをばしる」

「ながむれば 渚ましろに 成にけり
てしほの浜の 雪の夕暮れ」

と刻まれた歌碑が立っています。

■ 天塩川踏査宿泊地サコカイシ(案内板)

(所在地:天塩町作返 作返川河口付近)

 天塩川踏査の際、一日目の宿泊地として、天塩日誌などに記載されています。
より多くの人の目に触れることを願い、案内板は総合スポーツ公園内に設置されています。

■ 松浦武四郎宿営推定地オンカンランマ・タカヤシ(説明看板)

(所在地:天塩町 国道40号と雄信内川の交差付近)

武四郎看板1

 天塩川踏査2日目にオンカンランマで野宿をした時の様子が説明看板に記されています。蚊に悩まされ、食事中は火の煙でしのぎ、用を足すときは川に入らなければならなかったほどだったようです。ここには踏査23日目にも立ち寄りました。
 実際に宿泊したのは幌延町安牛付近とされていますが、多くの方に知って頂けるよう、看板は現在地に設置されています。

■ 松浦武四郎休息地 稚咲内の止宿跡(案内板)

(所在地:豊富町稚咲内ドラインブイン「砂丘の駅」近く)

武四郎看板2

 「明治以前、アイヌ語でワッカ・サク・ナィ(飲み水が・ない・沢) と呼ばれていたこの地は、1840年代に旅人の休息と給水の地として止宿所が設けられました。武四郎は3度この地を通過し、利尻山の雄大な眺めとともに建物や蔵、井戸があったことなどをしるしています。」と、稚咲内に止宿所が設けられたいわれが看板で案内されています。






■ 北海道命名之地(木碑・略年譜・案内板)

(所在地:音威子府村字物満内天塩川河川敷)

北海道命名の地

 1869(明治2)年、武四郎は明治政府から蝦夷地命名の任を受けました。 天塩川流域調査の折に音威子府村の筬島(おさしま)付近でアイヌの長老アエトモから「アイヌは自分の国のことをカイと呼ぶ」と教えられた武四郎は、その意味を基に「北加伊道」という名を考えたといわれています。
後に「加伊」は「海」の字に変わり「北海道」の名がつけられました。

■ 松浦判官宿泊聴仏法僧之地(標柱)

(所在地:音威子府村筬島)

 1857(安政4年)年に天塩川流域を踏査時、天塩川を遡って行く際と、下ってきたときに宿泊 した地の標柱が立っています。

■ 松浦武四郎踏査之地碑(標柱・歌碑)

(所在地:美深町 びふかアイランド内びふか温泉正面)

武四郎歌碑

 ヲクルマトマナイ(美深町恩根内)に住んでいたエカシテカニの家へ泊まった際に武四郎が詠んだ歌が刻まれた歌碑があります。

ゑみしらは筍にもる飯も古の
さまをつたへて葉椀にぞもる
かきならす五つの緒ごと音さえて
千々の思いをわれもひきけり

■ 天塩川名由来の地(案内板)

(所在地:美深町 びふかアイランド内)

 天塩川の名前の由来となった「テッシ」は、アイヌ語で「魚をとる仕掛け=梁(やな)」のこと。岩が梁のような形で川を横断していたという独特な地形に由来しています。
 武四郎はこの地形が「天塩」の語源になっていることを当時の記録に残しました。現在は川を整備したため岩はほとんど見えませんが、美深町紋穂内に当時の姿を残したせせらぎ水路が作られ、天塩川の名前の由来が説明されています。

■ 松浦武四郎宿営之地(標柱・説明板)

(所在地:美深町恩根内 天塩川右岸)

武四郎標柱武四郎説明版

 武四郎は天塩川を遡った6月13日と、下ってきた6月24日、この地にてエカシテカニの家に宿泊し、もてなしを受けました。美深アイランド内にある歌碑は、そのとき武四郎が詠んだ感謝の歌です。

■ 松浦武四郎宿営推定地ナイフト(説明看板)

(所在地:名寄市日進)

武四郎ナイフト

 ナイフトのアルヘイカの家に踏査9日目、14日目、 20日目に宿営した時の様子が説明看板に記されています。
 蚊や虻が多いため家の中に煙がこもるようになっていた、木の枝でキセルを作っているのを見た、など当時のアイヌの生活の様子がわかります。

■ 松浦武四郎野営の地碑(木標)

(所在地:下川町北町)

武四郎地碑

 武四郎は上名寄を拠点に名寄川とサンル川の合流点付近で野営し、名寄川およびサンル川を踏査したとされています。
道道60号わきに、木標が立っています。




■ 松浦武四郎宿営推定地サッテクベツ(説明看板)

(所在地:士別市中士別町)

 『天塩日誌』によると、松浦武四郎は1857年の6月20日にここサッテクベツのルヒサンケの家に宿泊しています。 『武四郎が来ていると聞き賑やかにもてなした。』とあります。 「帰りにも泊まり酒宴をしている」と案内板で紹介されています。

■ 松浦武四郎宿営地リイチャニ(案内板)

(所在地:士別市北町)

武四郎リイチャニ

 リイチャニに上陸した武四郎は誰も住んでいなかったニシハコロの家で宿営しました。屋根が腐っていたため、明け方の滝のような雨漏りでずぶ濡れになった、と紹介した案内板があります。

■ 松浦武四郎天塩川探検之地(説明板)

(所在地:士別市上士別町)

武四郎探之地

 サッテクベツから上流へ向かった武四郎一行が進退きわまっていたところ、偶然アエリテンカの妻に出会い、大木が倒れているからそれを渡るように、と教えられ、ナイタイベに着きました。 ここは間宮林蔵も訪れたと伝えられてます。

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