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ホーム > 地域創生部 > 地域政策課 >  北へ向かう3本の「路」-水路/TESHIO13のまち


最終更新日:2013年4月03日(水)

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水路

1857(安政4)年、松浦武四郎は、天塩川を上って「天塩日誌」を記し、「北加伊道(北海道)」という地名を生んだといわれています。
流域には11基の松浦武四郎碑があり、河口には像が建っています。
往時の風景を残す天塩川は150キロメートル以上をカヌーで下ることができる水路。武四郎が見た風景を逆にたどる水路の旅は、ここにしかないオンリーワンなのです。

水路マップ

水路

北見山地天塩岳付近(士別市)を源とし、名寄盆地に流れ、いくつもの支流と合流しながら、サロベツ原野近くの天塩町で日本海に注ぎます。日本では珍しい「北へ向かう大河」として知られています。

◦流路延長  256.0キロメートル(信濃川、利根川、石狩川に次いで全国4番目)
◦流域面積 5,590平方キロメートル(全国10番目)
◦2004年北海道遺産に選定

水路

~松浦武四郎というちいさな巨人~

今から150年以上前の1857(安政4)年、幕末の探検家・松浦武四郎は天塩川の河口から丸木舟で溯りながら、源流付近までの調査を行った。地形や地名、人々の暮らしなどその内容は多岐に渡っている。それらをまとめたものの一つが「天塩日誌」。武四郎が見た光景やアイヌの人々の暮らしを描いた絵や、「チョウザメが舟に近寄って頭を出すので気味が悪い」といった生き生きとした記述が随所に見られる。

武四郎はまた「北海道の名付け親」としても知られている。1869(明治2)年、それまでの蝦夷地に替わる新しい名称の提案を求められ、武四郎が提案したのが「北加伊道」であった。天塩川の探検でアイヌの長老から「自らの土地をカイと呼んだ」と聞いたことに由来するともいわれている。身長150センチに満たない小柄な体で一日60キロ以上を歩いたといわれる松浦武四郎。幕末の探検家が見た景色に思いを馳せながら天塩川を旅してみよう。

松浦武四郎

水路

初めてカヌー

道内第二の大河である天塩川はまた「カヌーのメッカ」としても全国に知られています。とくに中流から河口までの約157キロはダムや堰堤などの人口構造物がなくノンストップで川下りができ、日本最長を誇ります。この恵まれた環境を生かし、天塩川では多くのカヌーの大会が行われています。とくに1992年から行われている「ダウン・ザ・テッシーオーペッ」は最も大きな大会で、全国から大勢の参加者が訪れます。
また、流域には随所にカヌーポートが整備されているので、それぞれの地域をゆっくり見学しながらツーリングをすることができるほか、初心者が体験できる施設などもあり、カヌーを持っていない観光客でも楽しむことができます。

まずは体験してみよう

カヌーは自然が舞台のスポーツ。安全にカヌーを楽しむためにもまずはカヌーを体験できる施設でしっかり基本をマスターしましょう。

カヌー

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