軌道客土事業物語


軌道客土事業物語


軌道客土事業物語

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奥野善造翁略歴

明治38  真狩郡真狩別村にて出生。
大正 2 上富良野村江幌完別に移住。
大正15  加藤シゲノと結婚。磯野農場に小作人として入地。
昭和 2 磯野農場小作人争議に青年部を代表して奮闘。
昭和15  相馬農場農地解放委員会会長代理となる。
昭和18  ベベルイ川改修期成会結成。副会長となる。
       同改修事業現場責任者となる。
昭和25  道営軌道客土事業期成会会長となる。
昭和26  富良野町議会議員に当選。建設委員長となる。
昭和27  富良野町外一ヶ村軌道客土事業着工。
       富良野平原土地改良区理事。
昭和34  北海道議会議員に初当選。
昭和44  北海道議会運営委員長となる。
昭和58  富良野市開基80周年特別功労者表彰を受ける。
平成元    富良野神社名誉総代となる。
平成11  94才にて逝去。
戦前
(せんぜん)
()(どう)客土(きゃくど)計画(けいかく)

 (かぶと)()(とく)(へい)壮大(そうだい)構想(こうそう)(もと)づいて中央(ちゅうおう)排水溝(はいすいこう)実現(じつげん)したことにより()(もう)(あれ)()
(はた)()になった。さらに(やま)()(かん)(せん)(よう)(すい)()完成(かんせい)水田(すいでん)開発(かいはつ)急速(きゅうそく)(すす)んだ。しかし、それ
だけでは(でい)(たん)()(あく)条件(じょうけん)解消(かいしょう)されず、客土(きゃくど)による土地(とち)改良(かいりょう)必要(ひつよう)だった。
 昭和(しょうわ)のはじめから、大沼(おおぬま)(とり)(ぬま)地区(ちく)農民(のうみん)は、(ふゆ)()(ちか)山麓(さんろく)から()そりで(つち)(はこ)
んで
いたが、客土(きゃくど)には(てき)さない(つち)だったので(こう)()(うす)かった。それでもいつかこの()(りょく)
(みの)(しん)客土(きゃくど)(つづ)けていたのである。

 1934(ねん)昭和(しょうわ)9)、富良野(ふらの)(よう)(すい)()(こう)組合(くみあい)客土(きゃくど)必要性(ひつようせい)(つよ)(かん)(ぼん)()(しゅう)(へん)
調(ちょう)()()(おこな)った。その(けっ)()(なか)富良野(ふらの)(むら)鹿討(しかうち)農場(のうじょう)に、客土(きゃくど)(てき)した良質(りょうしつ)(ねん)()(ぶん)()
し、十分(じゅうぶん)(さい)()できることがわかった。

 しかし、問題(もんだい)はその運搬(うんぱん)である。()そりでは何年(なんねん)かかるか()(そう)もつかない。検討(けんとう)(すえ)
()(かん)(しゃ)による()(どう)(きゃく)()最適(さいてき)(はん)(だん)し、()(こう)組合(くみあい)総代人(そうだいにん)大会(たいかい)でその計画(けいかく)提案(ていあん)した
が、(べい)()()(らく)()(こう)組合(くみあい)債務(さいむ)など、()(ぎょう)困難(こんなん)であるという()(けん)(おお)かった。また、
()(どう)国鉄(こくてつ)富良野(ふらの)(せん)横断(おうだん)するのに莫大(ばくだい)()(よう)がかかることから、計画(けいかく)()(おく)られ、や
がて昭和(しょうわ)12(ねん)日中(にっちゅう)戦争(せんそう)16(ねん)には太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)突入(とつにゅう)し、土地(とち)改良(かいりょう)事業(じぎょう)完全(かんぜん)にス
トップしたのであった。


ベベルイ(がわ)改修(かいしゅう)

 太平洋(たいへいよう)戦争中(せんそうちゅう)1943(ねん)昭和(しょうわ)18)、氾濫(はんらん)をくり(かえ)流域(りゅういき)稲作(いなさく)困難(こんなん)にして
いたベベルイ(がわ)(かい)(しゅう)(こう)()が、(せん)()食糧増産(しょくりょうぞうさん)目的(もくてき)決定(けってい)された。流域(りゅういき)農民(のうみん)
とって()(のぞ)んでいた()(ぎょう)だったが、戦争中(せんそうちゅう)労働力(ろうどうりょく)不足(ふそく)していたことから、(こう)()
(ちょう)(みん)(ろう)()(なな)(わり)提供(ていきょう)するのが条件(じょうけん)だった。そして、その総括(そうかつ)責任者(せきにんしゃ)(えら)ばれた
のは、かつて(いそ)()農場(のうじょう)()(さく)争議団(そうぎだん)にあって闘争(とうそう)勝利(しょうり)(みちび)いた(おく)()善造(ぜんぞう)だった。その
(こう)(どう)(りょく)()(しき)(りょく)()(たい)されたのである。

 (ろう)(りょく)(かく)()(ぶっ)()調(ちょう)(たつ)、そして空襲(くうしゅう)(おお)困難(こんなん)()()()(ぼく)素人(しろうと)であっ
たにもかかわらず(おく)()1948(ねん)昭和(しょうわ)23)、(かい)(しゅう)(こう)()完成(かんせい)させた。

 

()(どう)(きゃく)()()(せい)(かい)発足(ほっそく)

 (せん)()食糧難(しょくりょうなん)(ふか)まる(なか)(せい)()による(こめ)供出(きょうしゅつ)への強硬(きょうこう)(さく)や、(せい)()(かい)(あげ)価格(かかく)()(とう)
(やす)()などによって、農民(のうみん)(くる)しい状況(じょうきょう)()かれていたが、やがて()(なか)()ちつき
をとり(もど)と、農民(のうみん)(あいだ)では土地(とち)(かい)(りょう)事業(じぎょう)への()(よく)急速(きゅうそく)(たか)まっていった。そう
して 1950(ねん)昭和(しょうわ)25)、富良野(ふらの)(ちょう)だけでなく(なか)富良野(ふらの)(むら)()()富良野(ふらの)原野(げんや)
2000(ちょう)()
()(どう)客土(きゃくど)総代人会(そうだいにんかい)決定(けってい)され、()(どう)客土(きゃくど)()(せい)(かい)結成(けっせい)された。会長(かいちょう)
はベベルイ(がわ)改修(かいしゅう)総括(そうかつ)責任者(せきにんしゃ)として困難(こんなん)(こう)()()()(おく)()(ぜん)(ぞう)()された

このとき善造(ぜんぞう)は、(かぶと)()(とく)(へい)()()()(げん)()開発(かいはつ)匹敵(ひってき)する大事業(だいじぎょう)であり、その責任者(せきにんしゃ)
(えら)ばれたことは人生(じんせい)最大(さいだい)(めい)()だと(きも)(めい)じたという。

       
    軌道客土事業概要図

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    当時の新聞記事(昭和26年1月21日)

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道営(どうえい)()(どう)(きゃく)()(けい)()

 善造(ぜんぞう)は、()(どう)客土(きゃくど)()(ぎょう)高補助率(こうほじょりつ)道営(どうえい)事業(じぎょう)となるよう(はたら)きかけたが、前例(ぜんれい)がなく
(むずか)しい(じょう)(せい)であった。しかし、上川(かみかわ)支庁(しちょう)道庁(どうちょう)開拓部(かいたくぶ)に、地域(ちいき)実情(じつじょう)客土(きゃくど)事業(じぎょう)
必要性(ひつようせい)(ねば)(づよ)(うった)(つづ)けた結果(けっか)1950(ねん)昭和(しょうわ)26)、道庁(どうちょう)派遣(はけん)した技師(ぎし)により
()(とり)()軌道(きどう)路線(ろせん)調(ちょう)()(おこな)われ(じっ)()(せっ)(けい)(しょ)ができあがった。

また、()(とり)()にかかる(よう)()(もん)(だい)(そう)()解決(かいけつ)することが必要(ひつよう)判断(はんだん)した善造(ぜんぞう)は、(けい)(しゃ)
()
水田(すいでん)同等(どうとう)(ひょう)()条件(じょうけん)提示(ていじ)するなど、(よう)()(かく)()(つと)めたのだった。

 (つぎ)問題(もんだい)となったのは、()(かん)(しゃ)とレールである。(せん)()(ぶっ)()()(そく)で、室蘭(むろらん)製鉄所(せいてつじょ)
もレールはないとのことだった。そこで、善造(ぜんぞう)(げん)(ざい)使(つか)われていない(しん)(りん)()(どう)(もと)めて
全道(ぜんどう)
(さが)まわり、()(かち)()(みず)のビート工場(こうじょう)から12キロレール(やく)(せん)トンと10トン()(かん)(しゃ)
5両
(りょう)
、15トン()(かん)(しゃ)1(りょう)調(ちょう)(たつ)した。

 翌年(よくとし)善造(ぜんぞう)上京(じょうきょう)して農林省(のうりんしょう)大蔵省(おおくらしょう)陳情(ちんじょう)したが、その甲斐(かい)なく 昭和(しょうわ)27(ねん)()
(せい)()()(さん)
では採択(さいたく)されなかった。しかし、善造(ぜんぞう)はあきらめずに全力(ぜんりょく)農民(のうみん)悲願(ひがん)(うった)
えつづけた


 重要(じゅうよう)局面(きょくめん)で、またも重大(じゅうだい)問題(もんだい)発生(はっせい)した。()(どう)()(せん)国鉄(こくてつ)富良野(ふらの)(せん)横断(おうだん)につい
て、旭川(あさひかわ)鉄道(てつどう)管理(かんり)(きょく)から許可(きょか)できないという(つう)()がきたのである。(おう)(だん)()(しょ)(でい)(たん)()
()(ばん)(よわ)土地(とち)改良(かいりょう)事業(じぎょう)鉄道(てつどう)横断(おうだん)したケースがないというのが()(ゆう)だった。

 善造(ぜんぞう)はすぐに局長(きょくちょう)面会(めんかい)(もう)()旭川(あさひかわ)鉄道(てつどう)管理(かんり)(きょく)単身(たんしん)()()んだ客土(きゃくど)()()
(ぎょう)
()(どう)()せるためには、土下座(どげざ)をしてでも(にん)()()なければならない。

 

栗林(くりばやし)局長(きょくちょう)との(はな)()一時間(いちじかん)あまりに(およ)んだが、()(けん)がかみあわず(へい)(こう)(せん)のまま
だった。局長(きょくちょう)国鉄(こくてつ)(よこ)(ぱら)(あな)()けるなど前例(ぜんれい)がないと()善造(ぜんぞう)()()()(げん)()
における水田(すいでん)農家(のうか)(じつ)(じょう)()(くに)食糧難(しょくりょうなん)(つよ)(うった)鉄道(てつどう)横断(おうだん)実現(じつげん)要請(ようせい)した。
(ろん)()もつき、しばらく沈黙(ちんもく)(つづ)いたが、善造(ぜんぞう)(するど)()(せん)局長(きょくちょう)をにらみつけていた。
すると局長(きょくちょう)(おお)きくため(いき)をついて、書記(しょき)()(せん)()(ちょう)()んでこさせ、国鉄(こくてつ)横断(おうだん)()
(のう)
かどうか現地(げんち)調査(ちょうさ)(めい)じたのである。その()鉄道(てつどう)を1m(もり)()し、その(した)にトンネル
掘削(くっさく)横断(おうだん)することで承認(しょうにん)()けた善造(ぜんぞう)はこのときの感激(かんげき)生涯(しょうがい)(わす)れることがで
きないと()

 

 国鉄(こくてつ)横断(おうだん)問題(もんだい)決着(けっちゃく)し、(どう)条例(じょうれい)(せい)(てい)()(おお)きく前進(ぜんしん)した1952(ねん)昭和(しょうわ)27)、
(どう)()(かい)(どう)(えい)()(どう)客土(きゃくど)(じょう)(れい)()され、昭和(しょうわ)26(ねん)()()(せい)()(さん)で、()()()(ちょう)(ほか)(いっ)()(そん)()
(どう)(きゃく)()事業(じぎょう)
として、ついに()(さん)()されたのである。

                                       
     起工式(土採場)

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          大運搬状況
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   軌道敷設状況
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  馬そりによる小運搬
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(どう)(えい)()(どう)(きゃく)()(じっ)()

道営(どうえい)()(どう)客土(きゃくど)事業(じぎょう)1952(ねん)昭和(しょうわ)278(がつ)10()()(こう)(しき)挙行(きょこう)して着工(ちゃっこう)された。

(ぜん)(こう)()()(かん)13(ねん)にも(およ)、 受益(じゅえき)面積(めんせき)1653(ちょう)()(そう)事業(じぎょう)()(やく)4(おく)1(せん)(まん)(えん)
1963(ねん)昭和(しょうわ)38)に(だい)(いっ)()(けい)(かく)完了(かんりょう)同年(どうねん)(だい)()()事業(じぎょう)計画(けいかく)され、客土(きゃくど)事業(じぎょう)
推進(すいしん)された。その(けっ)()()()()((ぼん)()北海道(ほっかいどう)代表(だいひょう)する穀倉(こくそう)()(たい)となったのである。

 

(かぶと)()(とく)(へい)()(かん)(ゆめ)()()いだのは(いそ)()(のう)(じょう)小作人(こさくにん)だった。(かれ)農村(のうそん)()(どう)
(しゃ)
として成長(せいちょう)し、富良野(ふらの)(だい)()(おお)きく(つく)()えたのである。

やがて、(にっ)(ぽん)(こう)()経済(けいざい)成長(せいちょう)とともに農業(のうぎょう)(きん)(だい)()(さけ)ばれ(はじ)、この()()()(ぼん)()
でも、ほ(じょう)(せい)()事業(じぎょう)展開(てんかい)されていくことになる。


【『農魂一路 奥野善造伝』土地改良事業への情熱 より構成】

                       国鉄富良野線横断箇所
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            人手による積込状況
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                               客土を運搬するディーゼル軌道車
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 ※全道のトップを切って実施された富良野地区の軌道客土事業は、他の地域の客土事業のモデルとなり、北海道
の土地改良事業に大きく貢献した。その後、軌道客土事業も全道に拡がり、北海道土地改良連合会の軌道客土部会
が組織されたが、奥野善造はその部会長に任命された。昭和29年から富良野地区完了の昭和38年まで10年間、
道内各地区の事業推進の相談役を務め、国の予算確保のため先頭に立って陳情に奔走したのだった。

   

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