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(地域)食べものがたりトップページ > かみかわ中部 > ふじくらますも果樹園
(ジャンル)食べものがたりトップページ > 飲料・酒類 > ふじくらますも果樹園
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リンゴの木を手にする増茂さん
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 「リンゴというのは、豊作のときでも、3~4割のハネ品が出るんですよ。しかし、この規格外のリンゴを安く売ったら、高いものが売れなくなる。それで『相棒』と自家用のジュースを作って交際用に使っていたところ、評判がいいので製品化することになりました。2人とも借金をしてのスタートでしたので大変でした」と話すのは、ふじくらますも果樹園の増茂聡さん。増茂さんが「相棒」と呼ぶのは、同じ神居古潭で果樹園を営む水沢亨さんです。

 国道沿いに共同で運営する加工センターを建設し、お互いにジュースを造りあっています。ただし、加工も経営も別々。日程を調整し、加工日を決めます。微生物を利用した健康な土づくりにも取り組み、極力農薬を減らしています。「リンゴはバラ科なんですが、バラ科アレルギーの人でもうちのリンゴは大丈夫という人もいて、わざわざ買いに来てくれるんですよ」。このリンゴジュースは、全国で開かれる北海道物産展でも人気の高い商品に成長しています。

080_apple_01.jpg★「王子のりんごジュース」(500ml)540円、(200ml)270円(いずれも税込) 
(右)国道沿いに設置されている果樹園への案内看板

 

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 増茂さんの家では、昭和8年ごろからリンゴを植えていました。父は測量技師。一時期は食糧庁にも勤務し、上川管内安足間の発電所の設計業務にも携わっていたと言います。そのため母親が農作業を担当していましたが、昭和29年のいわゆる「洞爺丸台風」で約180本リンゴの木はすべて倒されました。増茂さんは、それを小さな機械1つで1本ずつ起こす作業を続けました。「台風が来たのは確か9月26日。雪が降る前までに、すべて起こしたんです」。

 昭和31年、高校を卒業した増茂さんがリンゴ園を引き継ぐことに。当時植えていたのは、アメリカ産の古い品種「祝」、カナダ原産の「旭」などで、一部には当時としては高級品だったデリシャスも導入されていました。当時のリンゴ栽培は、1つ1つ袋をかける「有袋方式」が主流。脚立に上がって袋をかける作業は大変な仕事でした。

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(左)リンゴを搾るジューサー
(中)ジュースを温める釜
(右)ジュースの殺菌槽を点検する増茂さん

 

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 当時、神居古潭地区では稲の田植えと刈り入れ、そして袋かけのシーズンは学校が休みになりました。つまり、学生も総出で作業に駆り出されていたのです。「当時、リンゴに袋をかける作業は100枚で10円でした。自分も中学生のとき、1日6,000枚かけたことがある。修学旅行の参加費が1,000円だった時代だから、かなりの収入になったんですよ。多い人は1日1万枚もかけていた」と振り返ります。

 しかし昭和53年、大冷害に見舞われます。ショックを受け投げやりになっていた増茂さんは翌54年、友人らと息抜きも兼ねて、福島で開かれたリンゴの視察・研修会に出かけました。そこで衝撃の光景を見せ付けられます。増茂さんたちが植えていたリンゴの木は、8~10年かけて育てると高さが約3メートルほどになります。ところが、福島で見た木は、成長しても2メートルちょっとにしかなりません。これは「倭性(わせい)種」のリンゴで、高く育たなくても収穫できるのです。

 これまで、リンゴは脚立での作業が当たり前と思っていた増茂さんたちにとって、これは驚きでした。息抜き気分も吹き飛び、1週間をかけて友人らと東北の試験場を見て回りました。そこでは多くの「倭性種」が研究されており、衝撃の連続だったそうです。

 

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 帰ってきた増茂さんたちは早速苗木を注文し、育てることにします。10人で約2ヘクタール。これまでの木だと高く成長するため、木を植える間隔は約4メートル50センチでした。ところが「倭性種」だと成長しても背が低いままなので、間隔は2メートル50センチほどで済みます。つまり、狭い土地でも多くの木を植えることが可能です。ただ、寒さには弱いという欠点もありました。

 初めて植えた昭和55年以降、育て方を勉強するため、「倭性種」を育てている福島のほか、青森、秋田、盛岡、長野など本州の先進地を訪問。10種類ほど植えて、旭川の土地柄に向いていないものを淘汰していった結果、「みすず系つがる」という品種が適していることが分かりました。色がきれいで味も良く、相性が良かったそうです。その後、昭和58年から収穫できるようになり、旭川で植栽面積も4ヘクタールへと広がりました。

 土作りにもこだわりました。四国でミカン栽培に利用されているという「バクダモン」という微生物を取り寄せて使い始めたところ、根が大きく育ち元気の良い木になりました。農薬を減らすことにもつながり、かつての使用量の約半分から3分の1程度にまで抑えることができました。

 

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 おいしくて作業も楽なリンゴができるようになりましたが、ハネ品が出るのはリンゴの宿命でした。ただ、ハネ品といっても味には変わりはありません。増茂さんは、有効利用の道を探ります。昭和61年当時、旭川市には江丹別地区に一般の人でも利用できる加工施設がありました。そこで保健所の許可を得て、リンゴジュース作りに挑戦。出来上がった商品は、市内のデパートにも置いてもらい好評を得ました。しかし、この加工施設での製造許可は3年だけというのが条件でした。

 そうして昭和63年、水沢さんと2人で工場建設に踏み切ります。約1,000万円の借金。リンゴジュースのほか、「当時としては、全国でも初めて」の紫蘇ジュースにも取り組みました。また、リンゴジュースは北海道物産展などのイベントで知名度もアップ。「多いときには、1年に4,000本近く売れるときもある」と言います。

 一生懸命な増茂さんの姿を見て、孫の鈴木智哉さんが「俺が後を継ぐ」と言い出し、設備関係の会社を辞めて作業を手伝い始めました。リンゴを育てた増茂さんの次の仕事は、後継者の育成のようです。

 

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★平成29年12月掲載

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