かみかわ「食べものがたり」: ふらのやまもと農園
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(地域)食べものがたりトップページ > かみかわ南部 >ふらのやまもと農園
(ジャンル)食べものがたりトップページ > その他加工品 >ふらのやまもと農園
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![]() ![]() ![]() とろりとした質感の中に、小さく刻まれたタマネギやショウガ、ニンニクなどの香味野菜が溶け込む、トマトソース。もちろん原料のトマトは、山本さんが育てたオーガニックのミニトマトです。 レストランなどで使ってもらうために、山本さんは自分のトマトがどういうものか、勉強を重ねては多くのレストランへ訪問を続けました。 そのままパンなどに乗せても、料理に使っても美味しくいただけるミニトマトソースです。
![]() ![]() もとは業務用機械の設計士だった山本さんが農業の道へ進むのは、20代半ばのことでした。 就農を目指していた山本さんは、狭い面積で収益が上がるハウス栽培の品目についても調べました。当時の富良野では、ミニトマト、ピーマン、メロンが主流。トマト好きだったからという理由で、トマト栽培の修行を始めます。2軒の生産者のもとで合わせて4年間学びました。 就農当初は、現在とは異なる場所で土地を借りて慣行栽培を行っていました。そのおよそ5年後、有機栽培との突然の出合いが訪れます。 ![]() ![]() 山本さんの親戚に、自然農法の第一人者がいます。その人の作った野菜を食べた時に、山本さんの人生がもう一度方向を変えました。 「その方に有機栽培を勧められても、新規就農したばかりだしすぐに取り掛かれるジャンルのことでもないので、無理だと最初は言ったんです。でも、その野菜が信じられないくらいものっすごく美味しかった。『うわあ、こんな野菜作りたい!』と思いました。僕がそうなったように、人の意識を変えるくらい美味しい野菜を作ってみたいと思い、取り組み始めました」。 その土地や自分のスタンスに合った土づくりが、有機栽培の要。紆余曲折ありましたが、山本さんは今の土地を購入し、農業を続けています。 今では、「山本さんのトマトでないと」という根強いファンのいるトマトになりました。
ある時期、自分のトマトをレストランに売り込みに行っていたという山本さん。トマトの市場価格が下がり、少しでも利益を得よう、一般消費者に食べてもらう機会を増やそうというのが目的でした。ところが、この行動が大きな気付きをもたらすことになります。 「こだわりのある生産者を探しているシェフも増えてきた時代でした。そうした方には、『じゃあ君のトマトは何に使うと美味しいの?』と聞かれる。お好きに使ってくださいという答えでは気にかけてもらえないんです。そんな時、自分のトマトの特徴と欠点をきちんと理解していたら?例えば、僕のミニトマトは酸味が弱いのが実は欠点。『酸味が弱いのでこういう風に使うのがお勧めです』って言えたら、絶対に強い」。 山本さんは、自分のトマトだけでなく、ターゲットとしたお店の特徴や客層、料理まで研究を始めます。その結果、シェフと対等に話ができるまでの知識を身に付けました。 ミニトマトソースの開発を手がけてくれたシェフは、ドライトマトの製造も勧めました。 山本さんの小さな一歩は、自分のトマトへの自信と、周りからの信頼を獲得する大きな一歩だったのです。
![]() ![]() 平成27年現在、山本さんはJAふらののミニトマト部会の副会長も務めています。自分が若手を育てる立場になり、逆に自分の足元を見直すことになったといいます。 「僕と同じように有機でやりたいとか、自分で売り込みに行きたいという人もいます。また地元の人に食べてほしいという人も。そういう若い意欲のある生産者を応援したいと思うんです。僕は、これまでについてくださったお客さんと一緒に歩んでいければ十分」と山本さん。 「先輩農家さんたちが、自分の経験を回数で言うんですよ。それってとても自分に厳しく、謙虚でかっこいいことだと思った。それから僕も回数で言うようにしていますよ。今年でたった15回しかやっていない、そう思ったら、まだまだ勉強していかなきゃなって思います」。 農業は、人生で50回ほどしか挑戦できない貴重な生業。
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