大雪ものしり百科:自然編|大雪山を楽しく利用しよう:その1


大雪ものしり百科:自然編|大雪山を楽しく利用しよう:その1


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大雪山国立公園誕生の歴史
002.jpg 近代日本の歴史の中で明治維新は革命的な出来事でしたが、自然保護・環境保全についても同様でした。明治6年(1873年)、日本での公園制度の基礎となる法律ができ、東京の上野、浅草など4ヶ所の公園ができました。この前年、アメリカ合衆国で世界初の国立公園としてイエローストーン国立公園が制定されており、国営による自然保護の動きは世界的な流れとなっていったのです。

 明治44年(1911年)、栃木県日光町長より帝国議会に「日光を国立公園にしてほしい」という要望書が出され、これが日本の国立公園運動のさきがけであったとされています。偶然にも同年、愛別村長の太田竜太郎も政府の有力者 後藤新平に大雪山を国立公園に指定して欲しいという要望書を出しています。ただし、当時は大雪山という呼び名は使われず要望書には「石狩川上流霊域」と書かれていました。

 大正期から昭和初期には、日本各地で地元を国立公園に定めてもらおうとの活動が活発になり、全国で20ヶ所を超える地域が名乗りをあげたのです。背景として、単に国立公園を作るだけでなく、観光地として多くの外国人観光客に来て欲しいという考えが政府・自治体にあったのです。そのための景観の保全やホテルなど施設の充実も目的となっていました。北海道では阿寒湖、登別温泉、大沼公園が国立公園候補として内務省の調査対象となりますが、大雪山は調査の対象には入っていませんでした。

 昭和4年(1929年)、政府に国立公園候補を選ぶ「国立公園調査会」が作られ、昭和6年(1931年)、国立公園法が施行(しこう)となります。この年6月、国立公園委員会の田村剛は、北海道の候補地だった大沼・洞爺湖・登別温泉・支笏湖・屈斜路湖・阿寒湖の調査に出かけますが、予定の中に大雪山は入っていません。調査の途中、田村のところに層雲峡も見て欲しい、という要望があったため調査に入ったのです。もしこの要望がなかったり日程が合わなかったりすれば大雪山は国立公園にはならなかったかもしれません。このちょっとした調査地の追加が後の大雪山の運命を変えてしまったのです。

 足が不自由だった田村は、急いで作られたかごに乗って層雲峡温泉から黒岳へと調査に入り、好印象を得ます。候補にもなっていなかった大雪山を「大沼公園よりも優れているのではないか」「すこぶる有力な候補地である」と高く評価します。昭和6年(1931年)11月、 国立公園委員会は全国14候補地を提案しますが、大雪山は正式候補にはならないものの「例外として今後の調査を要する」との位置づけでした。つまり、国立公園の候補になるかもしれないし、ならないかもしれない、というあいまいなものです。この当落線上にある微妙な時期に地元の有志の人達が「今しかない」と立ち上がるのです。

 代表者は地元層雲峡在住の菊田清蔵です。当時は五・一五事件で首相の犬養毅が暗殺されるなど政治の世界は大波乱の時代でしたが、菊田らはそれにもめげず何度も国立公園指定への運動を繰り返し、確実に大雪山の重要性が国会にも知られるようになります。この努力は実を結び、昭和7年(1932年)9月、国会の国立公園に関する特別委員会で12ヶ所の正式の国立公園候補地が選ばれますが、この中に大雪山も入ることになります。昭和9年(1934年)12月、大雪山は阿寒、日光、中部山岳、阿蘇と並んで国立公園の正式指定を受けることになります。

 大雪山を探検し、その大きさと美しさに感動した愛別村長太田竜太郎が政府要人に「石狩川上流霊域(大雪山)」を是非国立公園にして欲しい、と要望してから二十数年後ようやくその望みがかなったのです。大雪山国立公園は公園面積が日本最大の約23万ヘクタール、10の市町村にまたがる大規模なもので、年間利用者数は約647万人(2002年)と先人たちの悲願ともいえる想いは現在見事にかなっているのです。

 大雪山国立公園は国の定める法律によって運営されています。明治維新後、公園の文字がはじめて法律の中に出てくるのが太政官布告(だじょうかんふこく)第16号です。これは国民にとって文化的に重要と思われる場所を個人の所有から公共のものとして広く国民に開放し、利用してもらうという考えに基づいています。国立公園はそれまでの公園よりもはるかに規模が大きく、できる限り原始のままの自然・景色を残すといった考えとなっています。以下、大雪山国立公園と法律の関係を簡単に時間を追ってみて見ましょう。
大雪山国立公園誕生のあゆみ
昭和4年(1929年) 時の田中内閣により外国人観光客の誘致(ゆうち)を目的とした「国際観光委員会」「国立公園調査会」が発足。国立公園制定へ政府が本格的に動く。
昭和6年(1931年) 国立公園法公布。国立公園選びが本格化。全国14ヵ所が候補となるものの大雪山は入らない。
昭和7年(1932年) 全国で12箇所が国立公園候補地に選ばれる。地元の誘致運動が実を結び大雪山も候補に入る。
昭和9年(1934年) 大雪山国立公園が正式に指定される。全国立公園中最大の規模となる。
昭和13年(1938年) 厚生省が設置され国立公園の行政は体力局所管となる。
昭和28年(1953年) 国立公園管理員制度発足。大雪山国立公園層雲峡管理事務所が開設される。
昭和29年(1954年) 層雲峡集団施設地区を指定。
昭和32年(1957年) 国立公園法を廃止して自然公園法を公布。
昭和39年(1964年) 層雲峡温泉の高層建築、ネオン光源等の規制が緩和される。
昭和40年(1965年) 勇駒別集団施設地区を指定。
昭和43年(1968年) 糠平集団施設地区を指定。
昭和46年(1971年) 環境庁が設置される。大雪山国立公園に特別保護地区を指定。
昭和47年(1972年) 大雪山国立公園勇駒別管理事務所開設。
昭和52年(1977年) 大雪山国立公園糠平管理事務所開設。十勝川源流部原生自然環境保全地域の指定に伴って公園区域の一部を削除する。
平成7年(1995年) 公園区域の再検討により面積226,764haとなる。十勝三股集団施設地区を指定。車馬乗入区域を指定。第1種〜第3種特別地域を指定する。

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