宿の中での交流が生み出す旅の価値〚 天塩弥生駅 〛

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かみかわフードツーリズム ~トップページ~> 天塩弥生駅
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 名寄市中心部から、西に向かって車で約10分。畑の中に、北海道新幹線開業日(2016年3月26日)と同日にオープンした「旅人宿&田舎食堂 天塩弥生駅」が見えてきます。駅といっても、線路や列車はありません。新築ながら昭和の駅舎風デザインと、実際の天塩弥生駅の跡地に建てたという、こだわりのドミトリー(相部屋形式の宿泊施設)です。
 
 オーナーは、元鉄道員で「天塩弥生駅 首席助役」の富岡達彦さんと「駅長」である奥さま。外観だけではなく、内装も昭和40年代のムードにあふれ、現役の天塩弥生駅に実際に使われた鉄道関連のアイテムがあちこちに置かれていて、懐かしさに囲まれた空間に。時間の流れがゆっくりと心地よく感じます。
 
 宿泊だけではなく、お昼には食堂の営業もしていますが、ここでは、ドミトリーの部屋を「寝台車」、食堂の部屋を「食堂車」と呼んでいます。「建物の作りはすごく凝ったわけですが、そのわりには鉄道マニアの方はあまり来ないですねぇ。線路から遠いからでしょうか(笑)」
 
 昼食メニューは、富岡さんご夫妻の手づくり。じゃがいもをふんだんに使ったカレーライスや音威子府そばなどが人気です。ボリュームも十分、昔のお母さんの味のように優しくておいしい、と評判です。その中でも、旅行者がつい気になってしまうメニューの名前が、「テヤの日替わらない定食・鶏の照り焼き」です。

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「テヤの日替わらない定食・鶏の照り焼き」(800円)

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 テヤとは、天塩弥生駅の鉄道電報略号のこと。「日替わらない」とは一見ユーモアでありながら、「変わらない」と聞こえることで、この天塩弥生駅の古いもの、懐かしいものを大切にしていこうとする富岡さんの情熱的な姿勢に重ねあわせることができます。
 
 また、健康的な食事を提供することにも気を配っています。同じ名寄市弥生地区で有機農業を営んでいる「弥生の里農園」さんの野菜をはじめ、できる限り信頼できる地域の生産者からの食材を使うこととしています。またそばも、駅そばとしても有名な音威子府(おといねっぷ)村の黒いそばと、同じく音威子府の咲来(さっくる)地区産の白いそば2種類を提供するとともに、幌加内の製麺所を活用しています。
 
 昼食のお客さまは地元の方が中心ですが、宿泊の中心は道外の方。ほとんどの人が夕食を一緒に食べ、夜は施設内で過ごします。Wi-Fi環境はありません。市街地から離れていることが、都会の宿にはない、宿主と宿泊客同士が交流できる環境を作りだしています。
 
 旅の途中の交流。いろんな人の人生に触れることで、新たな発見や刺激が生まれます。富岡さん自身も、若い頃バイクで多くの旅を経験。そこから得たものはとても大きく、旅人を迎える側となった今、旅の経験が生きていることを感じています。

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 もともとの天塩弥生駅は、名寄駅から数キロ西にあった深名線(しんめいせん)の駅のひとつ。深名線とは、JR北海道が運営していた路線で、札幌―稚内間を深川で分岐し、幌加内町を通って名寄駅で合流していましたが、1995年9月に廃止されました。駅舎も廃線のしばらく後に解体され、その場所は3メートルもの高さの草が茂る荒れ地となっていました。

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天塩弥生駅の外観。
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(左)天塩弥生駅の外観。(右)首席助役と駅長。

 当時、下川町で「さ〜くる 森人類」を立ち上げ、森林体験プログラムで体験型観光を行っていた富岡さん。体を壊して林業から旅に関わる仕事にシフトし、いつかは大好きな鉄道にちなんだ民宿経営を、と考えていたところ、この場所に出合いました。
 
 ここで宿を建てようと決心し、前オーナーが週末に別荘として使用 していた空き家となっていた元別荘を買い取るとともに、名寄市役所を訪れ、その隣にある駅舎があった土地の購入を相談します。持ち前の「勢い」で3,700坪もの土地を公売を経て落札した後は、まさに明治の開拓者さながらに、草が生い茂る荒れ地を切り開き、砂利を敷きつめて平らにしていきました。
 
 その過程で、鉄道にまつわる残置物も多数出てきました。そのいくつかは、宿内外の装飾として使用されています。そして、ここにあった鉄道の記憶を遺したい、というたくさんの協力者の応援を受けながら、2016年春に完成を迎えます。「思い切って新築で、昭和40年代の雰囲気を再現しました。多分、僕以外にこんなことする人はいなんじゃないかなぁ(笑)」
 
 オープン当初に、様々なメディアに注目を浴びました。うわさが広がり、食堂を利用する人は、かつて天塩弥生駅を知っている方や国鉄OB、官舎に住んでいた人たちが多く、宿泊客は40代~60代が多く、ひとり旅をする若者も多く来ているといいます。

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 「昔、ユースホステルっていろんな場所に立ちましたよね」
 
 自らも旅が大好きな富岡さんは、いろんな施設に泊まった経験がある中、宿泊者が夕食をともにして、宿主や宿泊客どうしが交流を深めていたあの原風景が、この場所を作るイメージになっています。
 
 時間はあるがお金はない。カニ族と呼ばれる、横長い大型のリュックを背負って旅している、いわゆるバックパッカーが富岡さんが若い頃に多くいました。 ユースホステルは長期の低予算旅行をする若者に盛んに利用され、宿泊者はお互いに旅の情報を交換し合い、次の旅先にも取り入れていました。
 
 旅のスタイルは時代とともに多様化します。ゲストハウスでも、寝泊まりだけが目的のお客様も多くなりました。しかし天塩弥生駅には、ライダー、チャリダー(自転車旅行者)はもとより、親子旅、長 期バカンスなど、様々なカタチの旅人が集まります。10回以上のリピーターも増えてきました。旅人どうしでの交流ができること、富岡さんご夫妻と交流ができることに、この宿に泊まる旅人は大きな価値を見出しているからです。
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天塩弥生駅の内装。当時の風景と共に人々の交流も再現されています。

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 「人口は少ないですが、魅力的な取組みを進めている人たちが弥生 地域には多いです。皆さんと一緒に、この地域を盛り上げていきたいですね」と語る富岡さん。将来への夢はふくらみます。
 
 例えば、駅と名をつけたからには、いつかは線路を敷設したい。線路ができた時には、足こぎのトロッコなどを用意し、来てくれた人を楽しませたい、という構想も。「観光で来られた方には、この地域を拠点に連泊して道北全体をゆっくりと巡ってもらいたい。そんな旅の形がもっと広がれば。」と目を輝かせます。
 
 鉄道が通っていなくても、地域の人や旅人が行き交う場所として新しい価値を生んでいる「天塩弥生駅」。新しい、といっても富岡さんの取り組みは、人との交流という普遍的なテーマでした。テヤ(天塩弥生駅)は変わらないものを大切にする。その象徴のような名前が付く昼食メニュー「テヤの日替わらない定食」は、この弥生地区の未来のソウルフードになるのかもしれません。 

 

~お問い合わせ~
▶旅人宿&田舎食堂 天塩弥生駅
住所:名寄市字弥生166-4
電話:01654-3-8413、090-8898-0397 
URL:https://ja-jp.facebook.com/teya841/

 

★平成31年1月掲載

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