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「祖父の時代から、お客様に助けてもらって90年です」とやまだ菓子舗の3代目、山田博幸さん。
「父さん、これどうしたんだい?」
「作ってみようと思ったんだけどなぁ…」
剣淵町で大正13年より創業するやまだ菓子舗。18歳からこの道に入った3代目の山田博幸さんは、その時交わした言葉をうっすらと覚えています。
山田さん23歳頃のこと、時は昭和40年代後半でした。ある日、包装資材を置いてある部屋の奥で、「わらび餅」と書かれた包装紙を見つけました。「親父も作ろうと思って包装紙まで作ったけど、挫折したらしい。包装紙もあるし、じゃあ自分が作ってみようと思ったんです」。当時、店の銘菓と言えるものは最中ぐらいしかなく、何か作らなくてはと考えていた山田さん。ちょうど、その頃は剣淵周辺でわらびが沢山採れていたこともあり、わらび餅を作ることに。山田家にとって、2度目の挑戦でした。
わらび餅は、わらび粉を使ったお餅です。わらび粉は、わらびの根を叩きほぐして洗い出し、精製したデンプン。原料の採取や製造に手間がかかるので、現在では高価で貴重なものになっています。古くは平安時代に醍醐天皇の好物だったという説もあり、茶道が盛んになった室町時代から、京都を中心に発展したと言われています。一般的なわらび餅は、デンプン・水・砂糖を加熱しながら透明になるまでかき混ぜ、冷やして固めたものに、きな粉や黒蜜をかけていただきます。
実は山田さん、それまで本物のわらび餅を食べたことがありませんでした。京都でも、お茶席などで使われていた上生菓子のわらび餅。お菓子の業界紙に載っているのを見たことがあるだけ。「お客様の中でも、わらび餅の名前を知っている人は少なかったのではと思いますよ」。そんな、本物を見たことも食べたこともないわらび餅作りに、山田さんは挑戦していたのです。
わらび粉と求肥粉を混ぜて練るとどんな状態になるのか?山田さんにはそれさえ判りませんでした。いえ、それどころか、「わらび粉って売っているのか?黒きな粉ってどんなものだ?」と、そこからのスタートです。さっそく、わらび粉と餅の周りにまぶす黒きな粉を初めて取り寄せました。わらび粉はもちろん、黒きな粉も旭川の問屋にすらありません。
実際にわらび粉と求肥粉を練ってみましたが、硬さも軟らかさも、どれが正解なのか判りません。何度も失敗を重ね、わらび粉と求肥粉の割合を探し求めました。そして、半年かけてようやく「これだ!」と思える味に辿り着きました。
配合も自分の舌と感覚だけで作り上げたわらび餅。それは、山田さんだけのオリジナルといえるかもしれません。
★「わらび餅」 1個(40g) 130円(税込)本店にて販売。
もちもちっとした食感で、砂糖醤油をかけて食べます。年間5~6万個販売。すでに発売30数年の剣淵の定番銘菓です。
北海道特産ビート糖に上質のわらび粉を使っています。山田さんがわらび餅を作り出すきっかけにもなった包装紙、そのデザインは今も変わりません。
わらび粉と求肥粉、水飴、ゼラチン、ビート糖などを入れ、2時間かけて練ります。粒子が細かくなるまで、ゆっくりと。今は機械ですが、昔は手で練っていました。この時の温度によって硬さが変わってくるので目が離せません。練り上がったら、黒きな粉をひいたケースに流し込み、一晩寝かせて、程よい硬さになったものを一口大にカット。それにきな粉をまぶし、1つ1つ箱に入れていきます。タレを入れ、爪楊枝を入れ、フタをして、包装。全てが手作業です。1つ作るためにかかる手間に、見ているだけで感嘆のため息が出ます。
わらび餅の中には、小さな醤油入れが入っています。これは砂糖醤油。一般的には黒蜜などが使われますが、山田さんの頭に自然に浮かんだのは、砂糖醤油でした。小さい頃から餅が大好きで、いつも砂糖醤油で食べていた山田さん。「わらび餅にも、砂糖醤油をかけたらきっと美味しい」と、迷うことなく砂糖醤油を選びました。
やまだ菓子舗のわらび餅の目印は深緑に若草色のストライプ。それは、30数年前見つけた包装紙とまったく同じデザインです。その包装紙をほどきフタを慎重に開ける。きな粉が飛び散らないように、そっと爪楊枝を持ち上げる。付いている醤油入れを出し、タレを少しずつかけていく。まるで実験をするような、食べるためのプロセス。それが、自分が最後の仕上げをしているような感覚で楽しいと、お子様にも評判です。
「とくに、材料に関してもこだわりはないし…」という山田さん。もちろん、材料の安心安全に関しては万全の注意を払っていますが、それは特別言葉にすることではないと思っているからです。「安全に気を使うのは当たり前のこと」。かつての牛のBSE問題の時も、店で使うゼラチンは安全かメーカーに確認するなど、即座に対応をしてきました。
高校卒業後、それが当たり前だと思って継いだ店。室蘭で修行を積み、21歳の時、父親の体調が悪くなり剣淵に戻ってきました。その後、士別の製菓店に通い洋菓子とパン作りを習得したそうです。
「商いは飽きないように、コツコツと、堅実にやっていくもんだ」。それが父の教えでした。90歳になる父親も、数年前までは元気に店に立っていましたが、今は見守ってくれています。
「お菓子作りも30年以上やっていると、当たり前になってしまうが、お客様が来てくれてありがたいと思います。親に助けられて、嫁さんに助けてもらって、従業員に助けてもらって、お客様に助けてもらって90年。じいさんの時代から助けてもらったからね。これからも一生懸命自分のできることをやって、お客様に喜んでもらいたい」。90年分の感謝の心が美味しいお菓子を作っています。
やまだ菓子舗 上川郡剣淵町緑町7番13号 |