手打ちそば処 淳真『手打ちそば』

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店主の山崎淳司さん。「そばが打てて、食べてもらって、笑顔になってもらえるのが何よりうれしい」。
店名は、淳司の淳と、奥さんの名前から真の字をとりました。 

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 士別市の北の端、多寄町の国道沿いにある「手打ちそば処 淳真」。石造りの建物を改装し、多寄町産のそば粉を使ったそばを提供しています。

 店主の山崎さんは、子どもの頃からのそば好き。兄弟がカレーやハンバーグに夢中になる横で、ざるそばを美味しそうにすする子どもだったといいます。そんな山崎さんがここ、多寄町で店を開くに至るまでは、不思議な縁が繋がっていました。

 山崎さんのそばは、舌触りが良く、つるりと口の中に入っていきます。それでいて一口噛むと、そば粉の香りが一気に広がります。しかももっちりとした食感は、あまり他では味わえないもの。 
 平成21年の開店以来、徐々にファンを増やし、今では閉店時間より前にそばがなくなってしまうほどの人気の一軒になりました。

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(左)その太っ腹な盛り方にも定評のある淳真のそば。画像は、人気の「ピリ辛肉つけそば」930円(税込)。普通盛りです。
(右)生そばの注文も受け付けています。

 

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 ごく普通の会社員だった山崎さんは、千葉県で働いていました。料理をすることも好きで、そのうちそば打ち教室に通うようになりました。昼食にはそば屋を探しては食べ歩き、そば粉を全国から取り寄せては自分で打っていたといいます。 
 「でもこれはあくまでも興味の範囲。そばが好きだから研究していただけなんですよ」と山崎さんは笑いますが、いつの間にか、そば粉そのものの特徴なども分かるように。そばだけでなく、薬味の追及も怠りません。その頃に集めた道具の一部や薬味類は、今でもお店で使っています。 
 こうして、そば打ちは山崎さんの日常の一部になっていきました。

 そんな時、奥さんの実家である名寄市風連町を訪れることに。途中、「そば粉販売しています。笠羽(かさば)製粉工場」という看板を見つけた山崎さんはすぐに立ち寄ります。そこで出会ったのが、山崎さんの運命を変えることとなった、笠羽正一さんでした。

 笠羽さん自身も、地域のそば打ち教室に参加したことがきっかけでそばの魅力にとりつかれた一人。しかも農家であることを活かし、自分でそばを育てるようになりました。製粉は専門業者に頼んだものの、理想の粉にならず、自分で製粉工場を建ててしまったというこだわりの人です。すっかり意気投合した二人。笠羽さんは自分のそば粉を山崎さんへ託します。

 「千葉に帰ってから打ってみたら…とんでもない粉でした。最初の水まわしの段階で香りがぶわっと襲ってくる。絶対これは旨いと確信できる粉だったんです。僕は、どうやったらこんな素晴らしい粉になるのか知りたい一心で、笠羽さんのところに通いつめた。何度も何度も断られたけど、弟子にしてくれって頼みに行きました」。 
 平成19年、仕事を辞めて北海道に戻ってきた山崎さんは、ようやく笠羽農園の手伝いをさせてもらえることになりました。 
 「とは言うものの、笠羽の父さんから教わったのは、アスパラの収穫の仕方(笑)。他の作物の世話が中心で、そばについてはほんの少ししか手伝っていません。でも、本当にうれしかった」と笑う山崎さんは、まるで探究心旺盛な少年のような笑顔です。

 ですがこの時はまだ、そば屋になるというイメージすら持っていませんでした。

 

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 多寄町にも、笠羽さんを含むそば打ち愛好会があります。現在の淳真の大家さんもその仲間で、自分が定年退職したらそば屋をやろうと、建物を買い取ってコツコツと手を入れていました。やろうと思えば明日からでも開店できるほどの設備が整っていたのです。 
 ところが大家さんが体調を崩し、せっかく完成間近だったお店が開けないという事態になってしまいます。そこで白羽の矢が立ったのが、山崎さんでした。

 「笠羽さんたちに言われて初めて、そうか!そば屋になるという道もあるんだ!と気付いたんです(笑)。一も二もなく、やりますと言いました」。

 山崎さんは経営のノウハウを学ぶべく、札幌に師匠探しに出かけました。再びあちこち食べ歩き、つゆの味などが最も好みの店に出会います。しかも、その店はそば打ち職人の修行を受け入れているとのことで、近くに部屋を借りて1年ほど修行し、多寄に戻って開店を果たします。

 数年は客足が伸びずにつらい時期も続きます。それでも口コミで評判が広がり、平成23年ごろにはコンスタントにお客さんが入るようになったそう。年末には、寝る間もないほどの年越しそばの注文が来るほどです。 
 そんな山崎さんの様子を見て、大家さんと笠羽さんの奥さんが厨房を手伝ってくれるようになりました。 
 「多寄には、僕にとってのお父さんお母さんがたくさんいるんです。感謝してもしきれませんね」。

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(左)2階ではそば打ち教室も。「STAP」とは、S(そば)T(たよろ)A(アグレッシブ)P(ピープル)のこと。
「たよろのそばが大好きな人たち」という意味だそう。ちなみに山崎さんの奥さんが命名。また、笠羽製粉工場は山崎さんが引き継ぎ、店舗裏で製粉をしています。
(右)濃厚、トロトロなそば湯はぜひ味わうべし。そば茶も香りが良くさっぱりとした味わい。

 

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 なんと山崎さん、そばへの愛情を追求するあまり、平成27年のシーズンから、農地を借りてそばを育て始めてしまいました。 
 「美味しいそばを作りたいだけ。手打ちの勉強をして、店出して、製粉やって…じゃあ今度は何をやったらいいんだ?と考えたら、自分でそばを育てることに行き着きました(笑)。でも、発案当時はまだお店も軌道に乗っていなかったし、農業経験もない人間になかなか協力してくれるわけもなく…。土地を購入するまでに4年かかりました」。

 平成27年の新そばの時期からは、ついに山崎さんが自分で育てたそばが収穫できます。それを自ら製粉し、打ち、調理して提供する。 
 生産者が商品を作り、販売するという通常の流れとは逆のパターンで、6次産業化を実現してしまいました。

 日々の細やかな手入れや収穫、乾燥は、土地を売ってくれた高山さんが請け負ってくれています。笠羽さんも手伝いに来てくれるので、3人で農作業をすることも多いといいます。 
 そんな山崎さんの次の目標は、乾燥施設も自前で用意すること。 
 「もちろん、金銭面や設置場所の問題はありますから今すぐではありませんが…。みんなが応援してくれるからこそ、次の夢が持てる」と山崎さん。 
 いよいよ、100%山崎さんが手がけるそば作りへ王手がかかります。

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(左)山崎さんと高山の父さん。まるで親子のような姿でした。 そば畑は6ヘクタール。半分は緑肥にし、毎年交互に植え替えていくそうです。
 

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 山崎さんの頭には、この畑に宿泊施設をつくるというアイデアもあります。そばと地元野菜を使った料理を出す、オーベルジュを作りたいのだそう。 
 「夏は、真っ白なそばの花と緑肥のひまわりの両方を楽しめるというシチュエーションが実現できるんですよ。できればそれが丘の上から見えるような場所にしたい。温泉も掘れたら最高ですよね(笑)」。 
 たしかにこれも、多寄のそばに付加価値を付ける一つの方法です。

 「私が魅了された多寄のそばを、もっともっと広げていきたい。しっかりとブランドとして確立させるために、私ができることを模索し続けています。ただ、あくまでも自分が打つそばがあってこそのこと。自分の手に余ることはせず、しっかり足元を見ながらやっていきたいですね」。
 
 そば好き少年のたくさんの夢は、そば好き仲間の助けを借りて、着々と実現に向かっているようです。

 

手打ちそば処 淳真
(じゅんしん)

士別市多寄町36線東3番地 
電話/0165-26-2302    
https://www.tayorosoba.com/


          

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